見えない”ふり”と見えない”フリ”が交差した4話。
ここまで描かれた日常と、数分で別の意味を持たせる構成の妙。
徹底された見せ方の工夫に脱帽するしかなかったです。
是非1度4話まで見て頂けたらと思います。
【見えることは不幸ばかりか?】
このテーマは2話ラストで描かれておりましたが、1話の書写の展示が伏線でありました。
「現実」と「虚構」で翻弄されるのはみこそのものであり、
それが「絶望」や「異常」といった暗い表現に埋め尽くされている中で1枚飾られている「希望」の文字。
決して、見えるのが悪い物だけではないことを表していました。
改めて見ていないとこれには気づけませんでしたね。
「行ってらっしゃい」
その日常は1話から当たり前のようにあった…のだけど。
常に起こるその”一方通行”の挨拶が、見える子ちゃんであるはずの”みこ”との「すれ違い」を二重の意味で演出していたのですね。
手形や歯ブラシにまで込められたこだわり、「そういうことだったのか」と納得せざる負えませんね。
何気ないものにもメッセージ性がとても込められていました。
「ホラー作品としても」
ホラー映画に頻出の演出として、入浴はよく使われています。
4話では、旧来のホラー映画リスペクトが感じられた風呂シーン、視聴者を引き付ける工夫がされていてとても良かったですね。
また、湯気を使わずに隠す工夫にもパッショーネさんのこだわりを感じることが出来たです。
終盤。
食卓に出没した幽霊。
「いつもと同じ」ように見えてしまったみこですが、「潤む瞳」や「震える手」をアップで映すことで「いつもと違う」違和感を示唆していたように思いました。
そして、このとき初めてそれまで「すれ違っていたそれ」が、「いつもと違う」ものがみこに見えた。
このトリックはとても素晴らしいと思います。
そして見えたものは…感動ものでした。
この構成力には感服です。